戦時中は連合軍の標的【電信屋】を見学!
新聞を読むのが大好きな
利用者さんのリクエストに応えて
日曜の余暇活動として「電信屋」へ
初めて行ってみました。
皆さん生まれも育ちも石垣島なのに
まだ行ったことない場所がたくさん…。
「地元あるある」ですね (笑)
「電信屋(デンシンヤー)」とは
「海底電線陸揚室跡」の通称とのこと。
こちらが新聞記事です。
市の指定する史跡が
県の指定する史跡に格上げされた?
…というもの
記事内容を記しますと…
日清戦争後の1897年、日本の領土となった台湾の監視と植民地政策の促進と言う軍事目的で建設された施設。本土と台湾を結ぶ通信網(海底電線)の中継地として重要な役割を担い、先島の電信施設の先駆けにもなった。
とのこと。
【海底電線陸揚室を紹介する銘板】
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明治時代の後半に
鹿児島~沖縄本島~石垣島~台湾
このルートで海底に電線を敷いた
とあります。
なんと!
軍事目的の通信施設だったとは!
この建物内で大日本帝国陸軍が
電報とか?モールス信号とか?
列強諸国に対抗すべく重要な役割を
担っていたのか?
【施設内部】
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後には陸軍から通信省に譲られて
一般公衆の電報を取り扱う場所に
なったようですが…。
そして昭和の太平洋戦争では
連合軍の攻撃目標とされた…とのこと。
無数の弾痕がそれを物語っています。
利用者の皆さんも衝撃を受けたようです。
記念碑をじっくり読む利用者さんもいました。
そしてこの左側から
海岸に出られる小道があったので、、、
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ビーチからキレイな海を眺めながら
遠い歴史に思いを馳せる社会見学でした。
ホームに帰った後は「かき氷」を作って
みんなでヒンヤリしました。(^^♪
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
【電信屋はここ(Googleマップが開きます)】
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